田舎暮らしのスィンカ

晴れの日は自然と戯れ雨の日は堂々と引きこもり

無職、あまりに惨めなので

僕は惨めすぎて、この世界から消えてしまいたいと考えている。

人生では本当にきついことが起こる。

泣き面に蜂は毎日のように起こる。

無職だとさらにきつい。

 

誰だって無職の方がまだましでは?

現代の日本は、無職の人が少なすぎる。一方、スペインやイタリアは、若者の多くが無職である。しかし日本と違って彼らは平和そうである。

しかし日本は非正規雇用や派遣などで雇用率の改善が進み、人生を破壊しながら生きている市民のおかげで、失業率が改善されている。経済指数など、数値の上では日本の方が圧倒的にいいのに、幸福を感じていないのは日本である。

政策の失敗であることは確かであるが、それにしてもひどい。無職だらけにしてしまった方がまだましでは? 

こんなにぎすぎすした社会になるくらいなら、「おまえも無職? 俺もだぜ!」みたいなテンションの方がいいのではないだろうか?

 

日常の不満が多すぎる地域に住むしかないが苦情を言ったらグレードアップする

騒音被害に悩まされている。騒音被害は、管理会社に苦情を言えばいいかもしれないが、倫理観の低い地域で苦情を言ったら、その状況が悪化する。

このアパートの住人はもうずっと生活音ではない大きな音を立てている。あまりにうるさいので苦情を言ったら、仕返しとばかりに楽器演奏をするようになった。僕はもうあきれてものが言えない。まともな対話ができるとは思えない。

このような対応をとるような地域では、正当な主張なんて通るはずもない。しかし引っ越しする費用はない。

無理が通れば道理引っ込むというやつである。

 

就活も惨敗が続く

惨敗、すなわち惨めに敗れる。面接ついでに僕の経歴やキャリア設計などに不平や説教を言う企業は少なくない。WEB面接が終わって、閉じたノートパソコンを見ながら自分がどんな状況かを考えてしまう。惨めでつらくて、僕はもう人生をやめたい。

こちらだってぎりぎりで生きているのに、すがって就活をしているのに、なぜ面接官は追い込むようなことを言うのだろう。

本当に惨めだ。周りは騒がしいし。

 

惨めな状況は考えるなとらわれるなと言うけれど

よくアドバイスとして「考えるな」と書かれている。何十年も長く悪い状況が続けばさすがに無理だろう。僕は惨めすぎて本当にこの世から消えてなくなりたい。いくら天気がよくても気分は晴れないし、自己肯定感も上がらない。僕の住む地域はこの時期にたまに心地よい青空を見せる。真冬なのに、力強い太陽の光が差し込む。窓の内側は非常に心地よい。この陽気を気分よく感じられたらと切実に思う。そのためには定期収入だ。

「定期収入がほしい」

窓からの日差しを見てそう思うアラフォーの僕は、本当に惨めだと思う。

こんなお祈りメールはいやだ

海外で僕のような奴らがお祈りメールをもらってネタにしている記事を見た。

gigazine.net

僕は古今東西の企業からお祈りメールをいただく常習犯である。数人の企業から数十万のの企業まで応募している。しかし(新卒のとき以外)一度も内定を得たことはない。

心が折れて折れて折れまくって、もう心が摩耗して無くなってしまった。

さて僕のお祈りメールの中で嫌だったものを取り上げたい。しかし、お祈りメールが来るだけましである。結構な頻度で無視される。

それでも僕の摩耗しきった心をさらにえぐったお祈りメールを書く。

 

「あなたの活躍する場所は当社にはございません」

これは、多角的に仕事ポジションを募集している企業のお祈りメールだが、残酷ではないだろうか?

 

「あなたの活躍する場所が必ずある!」みたいに書かれていて、心が素直な僕は笑顔で応募した。しかし先述の

「あなたの活躍する場所は当社にはございません」

とのお祈りメールが返ってきた。

しかも翌日に返ってきた。

僕の心はえぐれた。地中深くまでえぐれた。

一度レールから外れるって本当に厳しいなあ。。

アラフォー無職、週末の絶望感がやばい

週末、地方住まいの家の近くでも酔っ払いが発生する。

とても楽しそうである。夜10時過ぎでも大声で騒ぐ子供を連れて飲み会して楽しそうである。おっさんの声の方がうるさいが。治安が良くて何よりである。

 

しかし何より僕は信じられないほど絶望している

無職。20年前、大学生だった。中堅の国立大学。

あの頃は、まじめにしていれば就職先はあるという社会の雰囲気があった。しかし就職するタイミングで、「やっぱりコミュ力だよね」となった。僕は事実上、就活に全滅した。それからずっと居場所がない感じで、就活をし続けている。就活サイト登録では最古参ではないだろうか。

真面目に生きていればいいことあると思っていた。僕は今でも真面目に生きている。酒・たばこ・ギャンブルはしないし、ガチャ課金もしない。堕落しやがって、後で痛い目見るぞと思っていた。でも、堕落している人たちは僕よりずっと楽しそうである。というか、僕の方が痛い目を見ている。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 

いやいや気を取り直そう。にしても、ある意味、人生の約40年のうち、就活をしている期間の方が長くなってしまった。約20年前、大学3年の9月末に就活を開始して、よくわからないマナーを叩き込まれて、就活を開始した。あれからずっと就活を続けている。

約10年前、30歳になったとき絶望していたが、全然違う。あの頃は、今より社会が厳しかったのは確かだが(ヤフー知恵袋の回答者を見てほしい)、やはり30というのはまだ再起可能な年齢であり、心に何か希望のようなものがあった。その希望を勘違いして行動しすぎて、イカロスのように失墜したのだが、地上はマジで就職先がない。*1

アラフォー無職の絶望

で、アラフォーになった今、僕には絶望しかない。週末夜は外から楽しそうな声がしてくるし、勉強しても頭に入らないし、絶望感が半端ない。自己啓発本を読んでも無駄である。そもそも40近くまで無職という例外的人間を想定している本など存在しない。

僕にはもうあらゆる言葉が届かない。あらゆる声が届かない。勉強も手につかない。ただただ、求人に応募してお祈りメールを受け取るだけの生活である。もちろん中小零細企業も応募しているが、書類選考すら通らない。

いやもうどうすればいいの、と。政府はもっとしっかり地方の中流人材をどうにかする施策を出した方がいい。いや僕がその策を出すから雇ってくれ。。

 

*1:いやいやあきらめずに1000社受けるんだった。がんばれ俺。

無職は震災の心配すら許されない

僕は無職である。今年に入ってすでに百社以上エントリしているが、まだ書類選考は通っていない。地震のときも呆然とテレビを見るしかなかった。まあ、千円ほど募金をさせてもらった。僕の財布はマジで大丈夫なのか? と自問自答しながら寄付した。役立ててほしい。

 

しかし僕は心配するだけで、まったく無力である

およそ10年前も無職で東日本大震災をテレビ越しに眺めていた。

次に大災害があったときは、無職から脱して、弱っている人々の力になろうと考えていたら、まだ無職である。また無職というべきか。

今は自分の心配をしたほうがいい。これが事実だ。

無職になると人の心配すら許されない。無職というのは同じ国の人間ですらないのかもしれない。ああ、早く人間になりたい。

 

優秀でバイタリティある人々ってこういうとき何しているんだろう?

僕は優秀ではなくバイタリティもない、就活・転職市場ではゴミのような存在である。

スポーツの試合や大会は行われているけど、彼らはそういうのを中止して、一日炊き出しとかできないのだろうか? こういうときは体力勝負なので、ラグビーで鍛えられた人が来るだけで随分と頼りにされるだろう。がれきや食料を運ぶだけでめちゃくちゃ喜ばれるだろうに。

さすがに野球の試合に出たいから移住するという高校生がいたのはもう判断力がバグっていると思った(それをいい話のように報道しているメディアも)。もちろん地域の人々や家族と不仲だったりしたらそれもありかもしれないが、そうは見えなかった。

残念ながら数百年に一度の災害が身近に起こると、個人の小さな夢はあきらめなければならない、と僕は考える。もちろん、日本や世界を変えるくらいの大きな夢があるのならあきらめる必要はないかもしれないが。

 

若者よ、不幸に飛び込むな

前回、薄氷の下に落ちた話をした。しかしどうやらやけくそで飛び込む若者もたくさんいるようだ。

麻薬やトーヨコなどである。(余裕がないからニュースは詳しくは見ていない)

彼らはわざと飛び込んでいるように見える。何かしら助けが来ると心のどこかで思っているのだろう。しかしそういう戦略はたいていうまくいかない。人生逆張りはするなというのは至言である。

 

30代前半までの若者は素直に役所(ハロワ)にいけ

誰かが助けてくれる。僕のようなおっさんがきても、見てみないふりをするが、若者は絶対に助けてくれる。ハロワにいって訴えれば、一文無しでも職員が金を出してくれるかもしれない。

それだけ若者には特権がある。

たらいまわしにされても粘り強くやればどこかに働き口が見つかる。僕のようになってはいけない。

 

30代後半よ、共に頑張ろう

僕は三十代前半に本格的に就活を始めたが、本当に内定が決まらない。面接で嘲笑ばかり受ける。人生でこれだけ嘲笑された人間は珍しいのではないのか

嘲笑。鼻から空気を勢いよく吹き出すあの笑い。街を歩くだけ僕は笑われる。嘲笑コンボである。地元のSNS(5ch, 爆サイなど?)で僕は有名なのかもしれない。僕の地元の人たちは積極的に嘲笑コンボをやるが、いったいどんな倫理観をしているのだろう? 対面でそれをしたら侮辱罪にならないのだろうか? 重い鼻炎になればいいのに。

 

ともかく、嘲笑コンボを食らうような無職の同世代よ、共に頑張ろう。僕は(この約3年で)200社以上落ちたが、まだいけるぞ。1000社落ちたらギネスに申請しよう。

 

共働き飲食店の若夫婦よ、見えないところでやってくれ

地元メディアも特集するなや。若い夫婦で飲食店、ああ、完璧だ。苦労はあるだろうけど、彼女いない歴年齢の僕にはダメージが大きすぎる。しかしもう僕は血の涙を流すことすらできない。無。

しかし、やはり遅延で大ダメージが入る。日常ではそういうものを見ないように生活しているのに。

孤独のグルメとか吉田類の酒場放浪記とかで若い夫婦がやっているとダメージが入る。本当にやめてくれ。

空回りに負けるな若者よ

僕は神様もビビるくらい空回りしている人生。僕ほどでないにしろ空回りしている若者は少しはいるだろう。この世界はとても不安定だ。ネットで就活の情報はたくさん出回っているが、安定軌道に乗るのは難しいかもしれない。まあ零れ落ちる人も少なからずいるだろう。

若者よ、負けるな。三十代後半になっても、僕のような人間もいるのだ。10年以上やれば、どんな大企業にも就職できるだろう。

しかし若者にエール送っても、助けられるのって僕じゃなくて若い人なんだよね。。

若い人よ、助かったら、年上を一人でいいから救ってくれ

就職市場から締め出された30代後半以降の人を。若い人が救ってくれないと、俺らの上の世代のバブル世代や団塊の世代はめちゃくちゃ俺らに厳しいんだよ。。30代後半はマジでつらいんだよ。。

薄氷の下に落ちた

人生は薄氷の上を歩くようなものだ。

順調に思えていても、いつ転落するかわからない。

だから必死に生きねばならない。

ーーそう教えられて僕たちは生きてきた。僕より少し上の世代はそれは悲惨だった。しかし、意外と結婚していて2023年時点で、未婚率は30%らしい。詳しくはググってくれ。あれ、70%は結婚しているの? 

 

大学院を出て底辺でいいや、は許されない

なぜ許されないのかはわからないが、とにかく大学院卒とは一緒にいたくないとかいう人たちの意見が尊重される。大学院生は悪の意地悪役人だとでも思っているのだろうか?

経歴を詐称して働いてもいいが、ばれたら即クビにできるという。経歴詐称は罪があ重いらしい。大企業は試験結果を偽ってもほとんどおとがめなしなのにな。

大学院はアスペルガーにとって鬼門。もちろん、研究分野でダントツのトップになれる自信があるなら大学院もいいだろう。抜群の才能があるのなら、変わり者でも許容される。そうでないなら、目指すべきではない。

しかしたいてい、大学院の先の就職先は、高度なコミュニケーション能力を求められる。僕にはそもそも無理だったのだ。

哲学ばかりやっても僕には職がない

あらゆる哲学も慰めも、僕にはまったく効果がない。だって、哲学者が考えることや、それはすべて「正規職」の一般の人々へ向けた言葉だから。

そう、昔は全員が非正規だった。ゆえにほとんどの人の職は満たされていた。職がないなんて想定していない。そこまで社会不適合な人間がいるなんて、ほとんどの哲学者は想定していない。

だから本を読んでもあらゆる言葉が白々しい。

アドラーの言葉でも「あなたがその状態なのは、あなたがそれを選んだから」といわれるが、採用面接だけは違うのでは? 僕は採用面接で不合格を選んだ覚えはない。面接落ちても無理やり二次面接として会社に凸すればいいのか? さすがにそれは迷惑だろう。アスペだけどそのくらいは空気が読める。

 

働かないって皆が言うけど、本当に面接受からないんだ。面接が下手すぎて、試験官がネット掲示板に書き込むレベル。*1

 

薄氷の下

僕はすっかりと薄氷の下に落ちてしまって、今まさにもがいている。中途半端に起業したのがよくなかったのだろう。せめて10年前に起業ではなく、就活していればよかった。まだまだリーマンショックの余波があった時代だから、既卒の就活の選択肢はあまりよく思えなかった。あのとき土下座してでも就職していれば今頃は。

後悔先に立たず。どうにか次へと進まねばならない。しかし寒い。体の芯から寒い。

薄氷の下にある大量の氷水。寒くて寒くて仕方がない。氷の上より下のほうがずっとずっと世界は冷たく、深い。しかしまだ水面の明るさが見えているだけ僕はましなのかもしれない。もがくことをあきらめて、沈んで行っている人もたくさんいるという。

 

地表も値上げなど吹雪が吹いているようだが、氷の下と比べれば全然ましだろう。

 

追記)

今日も昼間から若い男女の集団がめちゃくちゃうるさかった。アルコールが入っているのだろうか? 僕は同年代の男女で食事をしたことすらない。会社の飲み会はあるけど、同年代の女性と会話したことはない。今の若者は、Fランでも底辺職(とされているもの。僕はそう思わない)でもエッセンシャルワーカーなどと名付けられて社会的に認められているから、なんだかみんな楽しそうである。エッセンシャルワーカーも地方では奪い合いで、年齢制限があるから僕には無理である。ああ、本当に寒い。

*1:偶然見つけたときはショックだった。

考え得る限り最悪の人生を歩んでいる

本当に何でこうなったのだろう。

僕の人生は考え得る限り最悪の人生になってしまった。もちろん、生存ルートでの話だが。

生きてるだけ。死んでいる

生きてるだけで丸儲けというさんまさんの名言はあるが、僕はまったくそのようなことを感じない。どこにも居場所がないからかもしれない。僕は生きていないのかもしれない。

地元の人との交流もがんばってしてみたが、僕だけのけ者で完全に浮いていた。アスペルガーつらすぎ。ADHDだったら愛されていたかもしれないなあ。。

サボっているわけではない。積み重なっていないのだ。積み重なっていないとは、つまり死んでいるということだ。

 

使えないやつじゃないか、と荒探しが始まる

大学院に進学したときは、「これで正社員くらいにはなれるだろう」と高をくくっていた。だから安心して勉強に取り組めた。現在、三十代後半の今、見事に無職。頭が焦りまくって全く勉強に取り組めない。もちろん、思考力は落ちている。無職の状態で思考力をキープしろというのが不可能である。周囲の環境に恵まれた人だけが、思考力をキープできる。年末になれば暴走バイクが走りまくる地域で、散歩やジョギングしていても歩きたばこや不正燃料の軽トラ(軽油で無理矢理走るトラック)ばかりの地域で、リラックスもろくにできない地域で、どうやって思考力を保てというのだろう?

すごい結果を出さねば就職できない

勉強していれば評価されていた時代は完全に終わった。結果を、しかも世間体のいい、立派な結果を出さなければ、正社員という夢の立場を得ることはできない。その辺の簡易の資格ではだめだ。表彰レベルでなければ。日本社会はとても立派な人で構成されているんだろうな、と感心する。正社員の皆様は僕より頭脳明晰で、トークも上手で、人間的に上等なのだろう。これで日本も安泰だ。高いハードルを皆が飛び越えて正社員になっている。安泰だ。ああ、すばらしい。

 

考え得る限り最悪では

考えすぎか。しかし転落は止められない。日本では途中でレールから外れた人(かつ非モテ)に冷たい。サンデル教授もいっていたから、世界中の現象なのだろう。

非モテは特にひどい。結婚していないと、田舎では受け入れてくれない雰囲気は特にある。九州だけかもしれないが。

 

追記)12月29日 21時すぎ 外で酔っ払いが叫んでいる。もう20分くらい。これで2日連続。うるせーーー。