コロナ禍で清々しいほどに全てを失って、今更ながら就活しているけど、ガラスの床の存在がどうにも生き方を妨げている。
「ガラスの床」とは、立派な学歴がある人間は、どこにいこうが常に高いハードルがあるという概念だ。
本当は、田んぼと畑しかない地域で育った身としては、土木のおっちゃんたちに混ざって肉体労働してビールを楽しむ日々を過ごしたい。だけど「ガラスの床」がある。「ガラスの床」のせいで「誰でもつける人手不足の職」に就くことができない。人手不足の中小企業にエントリーしても学歴が立派なのですぐにお祈りメールが来る。「ガラスの床」があるのだ。
だからベンチャーとかグローバル大企業に必死にエントリーしている。しかしめちゃくちゃ苦労して自己PR文とか作っても、自分の人生をA4サイズに濃縮して曝け出しても、ほんの数時間で振られる。1週間悩んでくれた企業には感謝の意すら感じる。
そんなときこの文章を見つけた。
どうにも他人とは思えない増田がいたので書いてみるが彼は僕より随分と立派である。
彼は発達障害やAPDなど持っているようだが、結局、新卒カードをうまく切れなくてキャリアを作れずに困っている印象である。日本は新卒カードの切り方が本当に重すぎる。意外とブクマコメントは優しくて、幸せになってほしいと言っていたが、いかんせん僕らは不幸体質である。
努力を無にしてしまう癖がある。
不幸になってしまう癖がある。
自分を犠牲にしてしまう癖がある。
周りを幸せにするくせに自分はいいんだよとカッコつけて、不幸になる。周りが幸せになると、「ああ自分はもう必要ないんだな」と去っていく。
こんなわけでまともな仕事に就職したことないし、自分が就職できていないのに周りの就職を助ける。
不幸になるのはわかっているのに、最後は心の片隅にある正義心に勝てない。
メサイア症候群とか揶揄されるが、これはもう癖である。
度胸がないとかそういう話ではなく、癖である。
社会が悪い
僕たちにはどんな仕事があるだろうか? 僕たちにはもう本当にどこにも仕事がないと思う。しかし僕たちが悪いのだろうか? 必死に勉強した人間をマネジメントし成長させることのできない日本の企業が悪いのではないのではないか? 僕が増田の上司だったら、確実に成長させることができる。
「幸せになってほしい」じゃねえよ
自分たちの会社に、こういう高学歴だけど新卒カード切るの失敗して困っているおっさんを優先して採用しましょうと提案しろよ。ワードもエクセルも使えない若者雇ってんじゃねえよ。あいつらはどうにでもなるだろう。俺らは後がないのだ。幸せにしまよう、うちに来てくださいと言えよ。
就活つらすぎてもうやめる
人生の縮図みたいな自己PR分を何度も他人に見せて否定されるのは消耗が激しすぎる。ガラスの床のせいで下にもいけない。士業は現在は異様なほどのコミュ力を求められるし、そもそも焦燥感が激しすぎて、試行の勉強などできない。しかし就活は人生の苦行である。つらすぎるため、もうやめる。さよなら正社員。一度くらいボーナスというものをもらってみたかった。何のために青春を犠牲にして勉学に励んだのだろう。考えると頭おかしくなるので考えないようにしている。