田舎暮らしのスィンカ

晴れの日は自然と戯れ雨の日は堂々と引きこもり

「ヒンメルならそうした」と聞いて涙腺が緩んだ

台湾でオタクが凶悪犯を引っ捕らえたらしい。彼はインタビューで「ヒンメルならそうした」と言ったらしい。僕はそのニュースをきいて理由をはっきりは言語化できないが、フリーレンの世界を思い出して少し涙腺が緩んだ。

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個人的に最近は辛いことばかりで、あわや警察沙汰か裁判沙かとでも言わんばかりの日常を繰り返している。不運にも僕の周囲は法的にアウトな対応をする人ばかりで、さらに何処に相談してもテキトウにあしらわれて、たらい回しされて、場合によってはこちらが責められて、日を経るごとに孤立し疲弊していた。そのせいで就活ができないどころか日常もまともに過ごせていない。精神安定薬が増え、(被害を最小限にするために)法律のことを調べる毎日である。貯金はごりごりと減っている。

台湾の若者が「ヒンメルならそうした」と言い放った

僕はそのニュースをみて、なぜか涙腺が緩んだ。考えられる理由として、精神的な故郷を思い出したような気がしたからという点があげられる。「ああ、同胞がここにいるぞ」とうれしくなったような懐かしいような、そんな気分だった。まさか台湾に同胞がいるとは。

台湾というのは本当に良い国になっていると思う(有事を除いて)。若者が素直だし、年寄りも朗らかである。治安が多少悪いところがあるかもしれないが、公にならないように影で悪さをする人がいる日本よりはずいぶんとマシであろう。状況的に僕は日本が本当に嫌いになりそうである。

ともかく彼にとってあこがれの人がヒンメルだったのだろう。行動したときはそこまで考えていなかっただろうが、やはり根底にはファンタジーで培われた精神性があると思う。周りの糞みたいな《立派な社会人》に合わせて生きるよりは僕はそのような生き方をしたい。それで死んでも、糞みたいに《立派な社会人》として長生きするよりはずっといい。どうせ彼女以内歴年齢のアラフォーだし。コスパ悪いからもう公的には救助対象外みたいだし、民間会社だって仲間に入れてはくれない。ではいっそのこと勇者のように生きてそれで命を落とすことになってもそれでいいじゃないか。孤独で苦しいだけが続く人生で、ろくな生き方ができなくても、一瞬だけ勇者なら、それでいいじゃないか。勇者のように生きよう。

僕たちの精神の故郷

思うに、僕の世代の心はずっとファンタジーの世界だった。現実の世の中が「大型銀行倒産」「またも一家心中」「自殺者数過去最高」など子どもには暗すぎて怖すぎて、幼い僕らはファンタジーの世界に逃避し、熱中した。ミヒャエルエンデもマークトゥエインも教師が読書を推奨している時代だったし、ドラクエもFFも全盛期で、僕たちは何度も勇者として世界を救った。

僕たちは何度もヒンメルになった。各地で困っている村の人を助け、凶悪な魔物を倒し、世界を救った。未だにそのゲーム世界では、僕はきっと勇者としてたたえられ、長寿のエルフを中心に平和を守ってくれているだろう。「勇者ならそうした」と言って。

DALL.Eで作成「ファンタジー 世界 町並み 雑多 平和 市場 果物 走る子ども」

現実の僕にとって勇者とは何だろう

僕にとって勇者とは誰だろう。思うに、勇者とは、ファンタジーの世界で学んだことそのものである。本当の優しさは現実の《立派な社会人》たちではなく、ファンタジーの世界から学んだのだ。子どもから老人まで困っている人を助け、凶悪な存在を打ち倒し平和のために一生を捧げる世界から学んだのだ。

何を手本とするか

人が人をないがしろにして自分の利益を優先するこの日本社会で、《立派な社会人》と関われる人は極一部だ。人は無意識に立派な手本となる人を探す。しかし身近にいることは滅多にない。身近にいればいいが、無ければ他に探す。一昔前は俳優や芸能人だったように思える。現在僕たち凡人がまねできるような芸能人はいない(僕が知らないだけだろうが)。藤井総太や大谷翔平などをまねしてもほぼ確実に挫折するだろう。才能が違いすぎる。ならば凡人にとってファンタジーの世界で探すのは悪くない選択だ。

「ファンタジーを読んで何になる」と周囲の《社会人》たちは侮蔑する。だけど、僕たちの心を動かしている。台湾では人命が救われた。これで死ぬことになっても本望だろう。世界を守ろうとして生きて、死ぬ。そのとき馬鹿にされても、いいではないか。きっと数百年後に誰かがネットアーカイブニュースみたいなのを探って賞賛してくれるさ。それがオタクってものだろう。

最後にマークトゥエインの言葉を思い出したので書く。「夢を捨ててはいけない。夢がなくてもこの世に止まることはできる。しかしそんな君はもう死んでしまったのだ」