田舎暮らしのスィンカ

晴れの日は自然と戯れ雨の日は堂々と引きこもり

いつだって助けられるのは他の人

僕のようなブログにもまだ読者がいて驚きであるが少し救われたのでまた書く。年末年始ですることもないし。。

がんばったから救われない

ここ数年、面接ばかりしてきた。

僕を助けてくれる人はついにいなかったし僕の居場所もなかった。

「高学歴は自分でどうにかしろ」、「職歴がないとうちでは雇えません」僕はどうすればいいのだろう?

就活のニュースを見ていると「(発達)障害者や元犯罪者を採用して多様性ある社会へ」とおっしゃられている。

(発達)障害者が雇用され、僕は無職。

犯罪者が雇用され、僕は無職。

どこにいっても職歴職歴といわれて、落ちる。職歴がないから職歴を作れない負のスパイラルに陥っている。

起業しようともしたが、とにかく条件のよいところはテナント料が高い。条件の悪いところは起業した身としては憤死するのが明白にみえる。もちろん逆張りでやってもいいが。。

何にしても起業して失敗した精神的反動は大きい。とくに独身で彼女いない歴イコール年齢で童貞である僕の一世一代の大勝負では非常に大きな落ち込みである。(収入安定までは彼女を作らないと決めているから当然ではあるが)

誰も助けてくれないから。

2023年に特に騒がれていたが、LGBTQとか人類は下半身のことばかり考えているようで、僕のような弱者男性の求職にはみじんも興味がないようである。

記事をクリックしたことがないから詳細はわからないが、トイレや風呂など公共施設の使用で問題になっていたのだろうか? そもそも外出して楽しむという発想から離れればいいのに。僕は銭湯も温泉もいかないし、トイレも自宅でしかしない。仕事をすればそうもいかないかもしれないが、ということは彼ら/彼女らには仕事があるのだろう。そう、普通の人には当然仕事はあるのである。あとは配偶者控除などの金銭的優遇の話だろう。そもそも結婚したら税金が控除される仕組みがおかしい。これだけ我々に自己責任と押しつけて個人主義の国なのだから、個人に税金を課すべきである。しかし、結婚の悩みを解決するよりは、やはり三十代後半の就職問題に本腰を入れてほしいものである。LGBTQより悩んでいる人は多いと思うが。

結婚など一生縁がないだろう僕から見ると「何やってんだこいつら」である。勝手に幸せになればいいのに。

しかしこれだけ騒いでいるのだから、きっと彼ら/彼女らは法的にも幸せになるだろう。僕らが騒いだら自己責任と嘲笑うくせに。

認定された社会的弱者は皆救われて僕だけ地の底で押しつぶされているような感覚がある。マイノリティに入らなかったマイノリティはどうすればいいのだろう?

期待するから?

「期待するから落ち込むんですよ」と偉い立場の誰かがメディアで発言していた。仕事にすら就けない人がいることは考えていないようである。仕事に就くことを期待するのすら贅沢なのだろうか?

高望みするからといわれるが、僕はこれでも若い頃に運動部にがむしゃらに打ち込んでいて結果として実績は残せず、身体的に故障ばかりで、介護・土木など激しい肉体労働はとても耐えられない。特に九州の経営者は厳しく怒鳴りつけることでマネジメントをする人たちばかりでとても応募する気になれない。マネジメントがしっかりしているところはとっくにコネクションが確立されている。

ともかく偉い人たちというのは、仕事にすら就けない無能のことなど考えたことすらないのだろう。

三十代で就活4年目突入。身も心も凍るような年末。

発達障害の雇用の話などを耳にすると本当に心が痛くなる。「ああ、この人は救われたんだ」と彼ら/彼女らの笑顔を見て悲しくなる。弱者のクリスマスや年越しイベントのニュースを流すのは僕たちへの拷問ではないだろうか。